迷いと決断:海外駐在からの帰国と挫折

今日は「今週のお題『迷いと決断』」で書きます。

このお題は、きっとサクセスストーリーや明るい未来の話が多いと思います。自分も、過去の決断は自分にとってよかったと感じることが多いです。

ただし、それは長い目で見た時の話だと思います。短期的中期的に見ると、失敗に感じる場面があって、その渦中にある自分にはとても「よかった」なんて思えない、そういう心境もあると思うのです。
今自分がまさにそんな状態にあります。とはいえ、きっとこの思いは今だけのものだと思うので書き留めておこうと思いました。

仕事の決断

決断は仕事の場面でした。もう何年も前になりますが、ある程度順調で成果も出ていた海外駐在で交代時期を迎えました。その時、もう少し延長する選択肢もあったのですが、当時天狗になって大抵のことならなんとかできる自信もあったため、意気揚々と帰国して新しい仕事をする決断をしました。

決断後の状況

帰国後は、海外で学んだ仕事の仕方をそのまま持ち込んで周りにもまきちらしていきました。周囲からすれば勝手に押し付けられた仕事にやり方には困惑したり反感を感じたでしょうし、一部には実際に混乱を招きました。そういったことから、徐々に孤立していきました。

そんな状況でも、当初はある程度成果が出ていました。ただし、孤立した状況で長続きするわけもなく、徐々に成果が出なくなっていきました。周囲も、失敗が目立つようになると厳しいことを言うようになりました。そういった状況を自分でなんとかしようと頑張りすぎ、体調を崩し、精神的にも追い詰められて休職に至りました。

その後、体調・精神がなかなか回復せず、休職を繰り返して長期化しているのが現状です。

決断のプロセスに問題があったのか

自業自得ですが、 そのプロセスに問題がなかったか振り返ってみたいと思います。

帰国を決断した時、多少は迷いましたが、当時は天狗になって自信の方が強く帰国しても問題ないと思っていました。とはいえ、当時の状況を考えれば、自分ひとりの取り組みでも仕事の成果を出せており、やり方そのものは通用していた可能性が高いです。ただ周囲への配慮が足りずに孤立したことがよくなかっただけです。
そういう意味で、決断にあまり迷わなかったことは問題ではないように思えます。

一方で、重い決断に悩むことが自然であるにもかかわらず、それが少なかったことがアラームだった可能性はあります。当時もう少しよく自分を観察していれば、天狗になりすぎていることに気づけたかもしれません。

決断後の仕事の仕方に問題があったか

問題がありました。
自分としては効率的に働けると思うやり方も、周囲からすれば別のやり方を押し付けられて邪魔なだけです。にもかかわらず、それを押し付けるやり方は最悪でした。
しかし、当時自分は「押し付けていて迷惑だ」と相手が感じているであろうことに気づけていませんでした。

休職に入る時は

なぜあんなことをしてしまったのか、ともかく後悔しました。「日本に帰国することを選ばなければよかった」「周囲に自分流の仕事のやり方を押し付けなければよかった」等々自分の行動で良くなかったことばかりが浮かびました。

そして現在

未だに「帰国を遅らせればよかった」とか「周囲に自分流の仕事のやり方を押し付けなければよかった」と後悔することがあります。現在でも当時の選択が「よかった」とは思えていません。
一方で、メンタル不調の治療を受けることで、天狗になって自分のやり方を押し付けてしまうような行動傾向があったことに気づき、もし帰国しない選択をしたとしても、結局別のところで同じような失敗をしただろう、と考えるようになりました。

そのため、「当時の選択はよくなかった。しかし、それを経験したことで新たに得るものがあった。」というのが今の自分の認識です。 この「新たに得たもの」をどう捉えてどう生かしていくかで、他の経験と同じように「決断してよかった」と思えるようになるかどうかが決まると思います。

最後に

今の思いを書いたこの記事を何年か後に見返して「こんな事考えた時期もあったな」と笑い飛ばせるようになっていたいです。

#「迷い」と「決断」

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